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ひたち

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

第6回目の記事は第5回目で登場したひたちです。

1・2枚目の写真はボンネットひたちの写真。
ひたち上野 ひたち柏

1枚目は第5回目の記事で上野でボンネットあさまと一緒に写っていた編成。
2枚目は柏で撮った203系との並び。
撮った当時は何も気にしていなかったが、特急シンボルマークがある編成と撤去した編成があったようだ。
この塗装のボンネット編成を撮った写真はこの2枚だけだが、運よく(?)2パターンの顔が撮れた。
写真の保存状態が悪かったのか、一部変色してしまっているのが残念。

3枚目の写真は国鉄色に戻されたボンネット編成の写真。
ひたち上野-2

ひたち運用からの撤退を前に、1998年7月にK7編成が国鉄色に戻され、同年12月に撤退した。
確か、撤退後も団体運用とかで走ってた気が…しかも「ひたち」のHM付けっぱなしで。
この写真は「おもいでのひたち」ということで、常磐線100周年を記念(485系引退記念の意味もあると思う)して運転した時の写真。
左のひたちは定期のひたちで、発車前に上野駅で並んでいた。

4・5枚目の写真は走行写真を撮った数少ない写真。
ひたち柏-2 ひたち柏-3

4・5枚目は柏~我孫子で撮った写真。
当時は祖父が近くの病院に入院しており、お見舞いに行った時は病院の窓から常磐線を走る列車を眺めていた。
これはその時に1度だけ許しを得てカメラを持って撮影に行った時の写真。
短時間しかいられなかったが、ひたちを2本撮影出来た。緩行線と並走してきたのを見て興奮したのを覚えている。6000系のSマークが懐かしい。

6枚目の写真は勝田車の485系がビバあいづを代走した時の写真。
あいづ代走

磐越西線にはビバあいづが運転されており、その専用編成が全検で入場した際に勝田車が約1ヶ月間代走した時に会津若松で撮った。
ビバあいづの幕が入っていないので、愛称幕・側面幕共にシールを貼っていた。
撮影当時、会津若松は快晴で隣にいる455系や側面が真っ黒になってしまった。反対のホームから撮ればよかったのだが、当時はそこまで考えていなかった。
走行写真も撮ったが、良さそうな撮影地が見付からず苦し紛れに逆光の中撮った覚えがあるが、現像した写真を見ると何撮ったの?と言いたくなるような駄作になってしまった。
この代走を撮るのを目的に会津若松まで行ったのに勿体無いことをした。

能登・白山

第5回目の記事は第3回目で登場した白山色の489系です。

1・2枚目の写真は最近まで走っていた急行能登の白山色時代の写真。
能登大宮 能登赤羽-11

1枚目は大宮、2枚目は赤羽での撮影。
大宮の撮影は他の夜行郡の撮影のついでに撮ったもので、赤羽で撮影した時は白山色がなくなるという噂を耳にして急遽撮りに行った覚えがある。なぜ赤羽で撮ったのか記憶がないが、多分終電の関係だろうと思う。
結局、白山色の能登はこの時が最後になった。

3・4枚目の写真は国鉄色に戻った頃の能登の写真。
能登赤羽-01 能登赤羽-02

再び赤羽での撮影だが、この頃は白山色から順次塗装が国鉄色に変更されている時で、1日置きに白山色と国鉄色が交代交代で上野に顔を出していた。
この日は国鉄色での運転日だったので、撮影しに行った記憶がある。今の俺なら消滅する白山色を狙って撮りに行ったいただろうが、この時は国鉄色を狙って撮りに行っていた。これから10年近く国鉄色で残るとは思ってもいなかった。
この撮影した年の3月の改正で能登の運転区間が福井から金沢に短縮された。

5枚目の写真は赤羽駅高架化工事で武蔵野線を迂回した時の写真。
能登迂回

1998年に赤羽駅の高架化工事で大宮~上野が運休になり、夜行郡が武蔵野・常磐線を迂回して上野まで運転された。これはその時の武蔵野線東浦和付近での写真。
当時は東浦和~東川口の超有名な撮影地を知らなかったので、家からすぐ近くのトコで撮影していた。
もっと引き寄せて撮れとか編成を全部入れろとか色々とツッコミ所はあるが、当時はこれで満足していた。

6・7・8枚目の写真は白山の現役時代の写真。
白山大宮 白山横軽-01 白山横軽-02

6枚目は大宮で撮った白山。白山は上下1本ずつの運転だったので、意外と写真を撮っていなかった。
7・8枚目は横軽で撮った白山の唯一の走行写真であり、横軽で撮った白山の唯一の写真でもある。
撮影日が1997年7月で、この年の10月に長野新幹線が開業しているので、横軽末期の姿。
当時、親に頼んで旅行がてら横軽に連れて行ってもらった。EF63牽引の正面からの写真が無いのは、丸山変電所付近からの帰り道に来て、カメラを用意出来なく後打ちだけになってしまった。
時刻表を持っていなかったのか失念していたのか忘れたが、もったいない事をした。

9・10枚目は白山色の編成をつかったあさまの写真。
あさま大宮 あさま上野

白山と能登の間合い運用でこの編成を使ったあさまが走っていた。残念な事に白山色あさまの写真はこの2枚しか撮っていない。当時はどの列車がこの編成で運転されるか知らず、たまたま来たのを撮っていた。
9枚目は大宮で撮影、10枚目は上野で撮影したもの。
上野の写真はボンネットのひたちと並んでいる写真。後にも先にもこの並びを撮ったのはこの時が最後になった。
今であれば激パになっているだろうが、当時は全く撮影している人はいなかった。
残念な事にあさまが切れちゃっている。多分現像時にお店の人に端を切られちゃったのだろう。ネガを見れば全部入っていると思うが、現在そのネガはどこにあるのか分からない。見つけたら写真を差替えします。

583系 JR西日本編

第4回目の記事は前回の続きで、583(581)系の西日本編です。

1枚目の写真は91年に撮影した急行。
急行

撮影した時の記録が無いのでどこで撮ったか分からないが、アルバムの前後の写真を見ると秋田付近だと思われる。
これは急行「あおもり」かと思ったが写真の日付は1991年8月16日になっており、調べたら「あおもり」が583系化されたのは94年からとのことなので、「あおもり」ではなさそうです。
「東北夏祭り号」かとも思ったが、運転日は大体8月上旬なので違いそうです。結局謎な急行です。
やっぱ撮影した時は記録をとっておいた方がいいもんですね。

2枚目の写真は青森で撮った急行「東北夏祭り号」
夏祭り号

青森ねぶた祭りにあわせて運転された下りのみの急行列車。
2007年以降は運転されなくなっているので、廃止になったと思われる。
この当時はまだまだ夜行列車が多く設定されており、583系がよく抜擢されておりこの頃ほぼ毎年東北に旅行してた時に、しょっちゅう見た記憶がある。今はどんどん廃止になってしまって寂しくなってしまった。

3・4・5枚目の写真は長野で撮ったシュプール妙高・志賀号
シュプール妙高志賀-1 シュプール妙高志賀-2 シュプール妙高志賀-3

初めて夜行列車に乗って長野まで行った時に撮ったもの。
この頃はシュプール号が全盛期で、この妙高・志賀号は583系と485系が連結された珍しい編成だった。
今や485系も存続が危うくなっているので、下手な写真ではあるが貴重な写真になった。
もっとまともな写真を撮っておきたかった。

6枚目は今の塗装になってから撮ったシュプール号
シュプール

大宮から急行能登に乗って、直江津できたぐにを待っている時に撮った1枚。
日付が分からないが、多分シュプール号末期の姿。
この時も583系と485系が併結していたが、中間に2両だけ485系が組込まれる編成だった。
大阪から黒姫までの運転で、種別は下りが夜行急行・上りが特急で運転だったと思う。
シュプール号は冬しか運転しないので、撮りに行きにくい列車だったがもっと撮りに行っておきたかった列車の1つである。

7枚目は今でも残る貴重な急行きたぐに。
きたぐに号

今は珍しくもなんともないが、撮れるうちに撮っておいた方がいい列車。
西の583系は国鉄色を撮ったことが無いので、廃止になる前に国鉄色に戻してくれないかな・・・


※西日本は581系もありますが、ここでは表記を583系に統一しています。

583系 JR東日本編

第3回目の記事は第2回目で登場した583系です。
東持ちの583系もそろそろヤバいみたいなので、ちょうど良いかなと。

1・2枚目の写真ははくつる82号関係。
はくつる 回送

この2枚は臨時寝台特急はくつる81・82号として運転されていた時の写真。
はくつるの写真は結構撮っているが、左の写真が唯一の走行写真。なぜか右側ががら空きの残念な写真になってしまっている。
右ははくつる82号のスジで上野へ送り込まれる時の回送。末期になると(?)上りだけとか下りだけという運転方式になり、なかなか撮りにくい列車になってしまった(回送の写真は結構撮っている)

3・4・5枚目は今は列車名は違うが団体としてたまに運転されるスキー列車関係。
上越 蔵王 アルペン

左は水上で撮影したシュプール上越号の回送列車。上越号は上野から小出まで走っていた。
この時の回送はほとんどシュプール幕で走っていたので、日中でも絵になった列車。でも走行写真は1枚も撮れなかった…
中央は品川で撮影したシュプール蔵王号。品川から山形まで運転していた。
この他にもシュプール号は猪苗代号や白馬号が走っていたが、いつの間にかシュプール号は名前を変えてアルペン号になっていた。
それが右の写真。2001年に大宮で撮ったアルペン蔵王号。この年に運転を終了してしまったので、583系のアルペン号を撮影したのはこれが最後になってしまった。

6枚目は今でも走っているので懐かしくとも何ともないが、俗にいうTDR臨。
大宮

前は大宮で能登とよく並んでいた舞浜まで行くTDR臨。
能登が臨時化されて並ぶ事がなくなったので、もう撮れない写真。能登の白山色が懐かしい。

7・8・9枚目はリバイバル列車関係。
リバイバルみちのく リバイバルひばり-2 リバイバルひばり-1

はつかりのリバイバル運転は前回載せているので省略。
この時はリバイバル運転が盛んに行われており、しょっちゅう運転していた気が…
左はみちのく号として常磐線経由で運転されたもの。
中央と右はひばり号として運転されたのも。
リバイバル運転なので、懐かしくないがもう一度国鉄色の長編成を駅撮りではなく、駅間での走行写真を撮りたい。

10枚目は583系から改造された715系。
普通

1998年に仙台で撮影したもの。
この頃は遠出なんて出来なかったので、出張であちこちに行く機会の多い父親にカメラを持たせて色々撮ってきてもらっていた。
これはそのうちの1枚。ちなみに父親は非鉄。よくぞ撮ってきてくれた。欲を言えば583顔の方も撮ってきて欲しかったが、これがうちの唯一の715系の写真なので父親に感謝感謝。

北陸の食パン電車もそろそろヤバいので記録はお早めにです。

はつかり

第2回目の記事は第1回目で脇役として登場したはつかりです。

1枚目の写真は青森で撮った583系との並び。
はつかり-001

写真の日付が1997年8月14日になっているので、前回のかもしかを撮った次の日という事がわかる。
秋田から青森を通って、この後に竜飛海底駅の見学などに行った記憶がある。青函トンネルの入口の写真はあるが、時間的に合わなかったのか列車が写っていないが悔やまれる。
急行は「津軽」と思われる。

2枚目の写真は八戸で撮ったはつかりの並び。
はつかり-002

これは583系使用のはつかりを撮ろうと18キップで青森まで遠征した時に、八戸で特急退避した時に撮ったもの。
だが、この翌日は台風直撃で東北が全滅して結局583系を使用したはつかりは撮れなかった。しかも帰りは列車が動かず、ようやく仙台まで出た所で列車がなくなり、仕方なく駅前で野宿して始発で帰ったという踏んだり蹴ったりの旅だった。

3枚目の写真は盛岡で撮ったパタパタ。
盛岡案内

上記の旅で盛岡で抑止を喰らった時に、せめて列車名だけでもと思い撮った1枚。
右下の「臨時特急はつかり」が583系使用のはつかりである。パタパタが絶滅しかけている今となっては撮っといて良かったと思う。

4枚目の写真は野辺地で撮ったスーパーはつかり。
はつかり-003

別に懐かしくとも何ともない形式だが、当時は前面に「Hatsukari」と書いてあった。
ちなみに今は「Tsugaru」

5・6枚目はリバイバルはつかり
リバイバルはつかり-001 リバイバルはつかり-002

結局583系のはつかりを撮影出来たのはこのリバイバル運転の時だけだった。
左のは黒磯で撮影したもの。当時は沿線の撮影地を知らなかったので、駅撮りがメインになっている。一度走行写真を撮っておきたかった。。。
右はそれから数年後にまた運転して大宮で撮影したもの。
この時は青森から上野まで「はつかり」で運転して、帰りは常磐線経由で「ゆうづる」として運転た記憶がある。上野は夜に到着だったので、大宮でバブル撮影した。

もう一度583系の国鉄色の長編成を撮影したいが、今や東の583系は存続が危ぶまれているとかいないとか…
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